エッセイ

Essay-1
また訪ねたい場所

~Do you have a カーメラ?~

「Do you have a カーメラ?」「コンプリートウ(満室です)」
写真機持ってますか?ということではありません。
今から20年近く前の話です。建築家を志すものの大半がそうするように、僕もリュックをしょってヨーロッパ古建築見学の貧乏旅行に出かけました。これはその時の話。

「カーメラ」とはイタリア語で「部屋」のこと。前述の会話はホテル(民宿)のフロントでの光景。「カーメラ?」でも事足りるのに、しかも地方都市に行くと英語は全然通じないから「カーメラ空いてますか?」と聞いても問題ないと思うけど、かっこつけて英語とチャンポンになった次第。
1週間いたローマの大混雑にへきえきとして、地方都市に脱出だとばかりに、ローマとフィレンツエの間に散在する山岳都市の一つ、スポレートに向けて出発した。

しかし、スポレート駅前も人混みで大混雑。どのホテルも民宿も「コンプリートウ」のつれない一言。駅構内で知り合ったアメリカ人の夫婦もホテルに泊まれず、山岳都市ペルージアに行くという。「ペルージアのような大きな街なら、一つくらい空いてるホテルがあるだろう」なるほどなるほど、とばかりに、僕もそうすることにした。
でも、電車とバスの接続が悪く、ペルージアに着いたのは夜の8時過ぎ。目についたホテル、民宿かたっぱしに「Do you have a カーメラ?」とやってみるが「NO コンプリートウ」の返事。あせる、あせる。目の前をあのアメリカ人夫婦が駆け回っている。やっぱりホテルが見つからないらしい。絶体絶命のピンチ!野宿になってしまうのか?が、天は我を見捨てなかったのであります。

昼間の喧騒がウソのように、人通りもまだらになった石畳の坂道を、高校生風の女の子が歩いてきたのでした。藁にもすがるような気持ちで「この辺りにホテルはないでしょうか?」とつたない英語で尋ねると、有難いことに、英語のわかる彼女は親切にも空いていそうなホテルまで連れて行ってくれたのあります。しかしそこも満室。がっかりする私。そんな僕を見かねたのか「よかったら家に来ませんか?」と言ってくれたのであります。 親切!でもちょっぴり不安。「いいんですか、本当に」「ええ勿論、私も旅先で親切にしてもらったことがあってそのご恩返しみたいなものですから」

こんな風に書くと僕が英語ぺらぺら伊語少々しゃべれるように誤解される方がいらっしゃるかもしれませんが、勿論そんなことはなく、片言英語、伊語まじりの手ぶり身振りのボディランゲージのおそまつ。そんなわけで、彼女の家に泊めてもらうことになりました。でも家といっても、1フロア4室を友達4人で共同で借りているアパートの1室に泊まらせてくれるというのです。ちょっと大胆です。 友人はこの休日を利用して実家のあるフィレンツエに帰っているとのこと。聞けば、この週はイースターと何かの祝日が一緒になったゴールデンウイークのような大型連休なんだそうで、道理でどこに行っても混んでいる筈です。泊まるところが決まったとたん、ホっとしてお腹がすいてきた。お礼に晩飯をご馳走しようと、彼女を誘ったがもう済んだとのこと。でもおいしいピザ屋さんを教えてあげると、広場にあるそのお店まで案内してくれた。彼女は帰ってピアノの練習をするという。

~山岳都市ペルージア~

山岳都市ペルージアは、山頂にあるピアッツア・ノーベンバー(教会前広場)とピアッツア・イタリア(市役所前広場)、そしてそれを結ぶバヌーキ通りを中心として広がり、そこを囲むように民家が建ち並んでいるきれいな街です。目抜き通りのバヌーキ通りは10分もあれば端から端までいける長さで、ヒューマンスケールのとてもいい街。ただし昔、敵の侵入を防ぐために道を迷路のように造っているので複雑で、すぐ迷ってしまう。でももし迷ってしまっても、とにかく坂道を上っていけば、どちらかの広場に出られるのです。

ペルージアには外国人学校があって、外国人もたくさんいるという。ちなみに、親切な女の子ビリーもフランスから半年前にきた大学1年生とのこと。
おいしいピザとビールを飲んでほろ酔い気分でビリーのアパートを探した。迷路のような初めての街で、しかも夜道、やっぱり迷った。同じような道や同じような建物があって方向感覚が狂ってしまう。ビリーに書いてもらった住所をたよりに、3人に道をきいてようやくその建物にたどりついた。住所を聞いておいてよかった。

~ベルを鳴らすが応答が・・・~

でも、ベルを鳴らしても応答がない。2、3回鳴らしてみたが応答がない。ピアノの練習をすると言っていたから、ピアノの音で聞こえないのかなと思い、しばし待とうときれいな夜空を眺めて異国での情感を味わっていた。この時はまだ余裕がありました。
しばらくしてまた鳴らしてみるが応答なし。そのあたりをちょっと散策して、もういいだろうと15分程してからまたベルを鳴らしてみる。でもやっぱり応答なし。再び鳴らすが応答がない。どうしたんだと不安になる。立て続けに鳴らしてみるが、依然として応答なし。すると、あまりのベルのうるささに、2階の窓が開いて、大家さんとおぼしきおばさんが顔を出して、「いったい何の用だ」という。
「3階にいるピアノの音楽の学生で黒い大きな犬を飼っている女の子の部屋に行きたいんだ」と、片言英語身振り手振りで懸命に訴えた。ところが、おばさんが言うのには「音楽の学生なんていない。それにみんなフィレンツエに帰ってる」とイタリア語で言っているようなのであります。
「ボナセーラ(おやすみ)」と言ってばたんと窓を閉めてしまった。そんな……。もういくらブザーを鳴らしても出てきてくれない。

イヤーあせりましたね、あのときは。夜空をながめていたさっきまでの余裕は吹き飛んで、ほろ酔い気分もいっきに覚めて、不安で胸がきゅっとしました。
「リュック盗んで何になるのか」という不埒な考えが一瞬胸をよぎりました。
もしかしたら、建物を間違えたのかもしれないと、もう一度広場に戻ってやりなおしてみました。さっき、道を尋ねたおじさんが「あれ、まだ探してるの」と番地を見て親切にまた道を教えてくれました。

~友人の話~

歩きながらこんな話を思い出した。
友人がタイに旅行にいって、向こうで親しくなった現地の人の家に招待された話です。料理をご馳走になり、すすめられるままお酒を飲んで……。気がつくと、朝。下着姿で公園のベンチに寝ていたそうです。勿論身につけていたパスポートもお金も盗まれて……。その家に行ってみると、もぬけのから。家族ぐるみの詐欺にあったのでした。
「いやいや、ビリーはそんな人じゃない。」と思いながらも不安で胸がいっぱい。
確かにこの番地。やっぱりこの建物です。さっきおばさんが窓から首を出したあの建物です。
不安な気持ちでブザーを鳴らすと、今度はガチリとあっけなく電気錠が開きました。3階に上って行くと、ビリーが手を洗っているところで、「何度もベルを鳴らしたんだよ。いったいどうしたの?」と聞こうとする暇も与えず「ボナセーラ」と不機嫌そうな様子で部屋に入っていってしまいました。

~不安な一夜~

「どうなっているんだろう?もしかしたら夜中に男が部屋に入ってきて貴重品とられて身ぐるみはがされて僕も公園のベンチに放り出されるんだろうか?」「いやいやそんな筈はないよ、きっと・・・」
使わせてくれた部屋は小ざっぱりと整理されていてきれいな部屋です。ちょっと不気味なのは飾りだなに置いてある「骨」。何かの頭蓋骨もあります。もしかして、「恐怖の館」に入ってしまったのか!身ぐるみはがされるだけですまなかったらどうしよう。
万一に備えて、扉をロックし、扉の前に椅子でつっかえ棒をして、その椅子の上に重し代わりにリュックを置いて、更にベッド脇に、部屋にあったテニスラケットをおいて、一応暴漢対策をしておきました。

不安で眠れないかと思いきや、不安より疲労のほうが勝っていたとみえて、あっという間に眠ってしまい眼が醒めたのは朝の8時すぎ。でもやっぱり浅い眠りではありました。
起きて食堂にいくと彼女の番犬黒いドーベルマンがいてちょっとびびった。でも結構人なつこい犬で、クンクンと一通り匂いを嗅ぎ回って怪しい奴ではないと思ってくれたらしく、顔をぺろぺろ舐められた。(これにはかなりびびりました)彼女はというと、9時半頃眠そうな顔をして起きてきました。食堂でコーヒーを沸かしてくれました。昨夜は、犬の散歩の途中、離した犬がいなくなってしまい、探し回っていて帰りがとても遅くなってしまったのだという。そうだったのか。あの怒ったような表情は犬に対する怒りだったのか。そして彼女、音楽の学生ではなく、獣医学部の学生とのこと。そう聞くと部屋の骨の件も合点がいく。
僕も不安だったけど、彼女もやっぱり不安だったのじゃないだろうか?名前しか知らない、東洋の日いずる国より来た若人を(僕のことです)、それもただ道を聞かれただけの男を、たとえ番犬がいるにしても、ルームメイトもいない時に泊めてしまって。もしかしたら、ちょっぴり後悔していたのかもしれないね。考えてみれば、かなり大胆で危険な行為。国の両親が知ったらきっと叱っただろう。(親の気持ちになっている)でも「本当にありがとう、ビリー」お礼に夕飯に誘ったが友達と会うので残念だが駄目だという。
広場まで送ってくれて、安いホテルも教えてくれ、交渉もしてくれた。本当に親切だ。
暴漢対策なんてしていた自分がはずかしい。ごめんねビリー。

~握手はぎゅっと~

別れの握手をした。
「I'm very happy to meet you」お世辞でもうれしい。
西洋人の握手は力強い。ギュっと握ってくれたので、僕もギュット握り返した。
夕方、大通りを歩いているとあの黒いドーベルマンがいた。その姿を追っていくとカフェの椅子に座っている彼女がいた。笑いながら手を降ると彼女も笑って手を振ってくれた。隣には本を読んでいる格好よさそうなボーイフレンドがいた。なぜか顔が赤くなった。
旅先からビリーに絵葉書を出した。日本に帰ると、彼女から絵葉書のお礼の手紙が届いていた。またまたお礼にと「花札かるた」を送ったら、しばらくして受取人不明で戻ってきてしまった。
フランスに帰ってしまったのだろうか?それともあの夜の僕のようにこの郵便も道に迷ってしまったのだろうか?

いつか又、あの街に行ってみたいと思う。
そしてあの時と同じように、月夜の晩に、迷路のような夜道を彷徨い歩いてみたいと思っている。

<家づくりの会「家づくりニュース 1999年12月号」掲載>